プロ野球・近鉄バファローズなどでピッチャーとして活躍した佐野慈紀さんが4月30日に56歳の誕生日を迎えました。
佐野慈紀さんは「ピッカリ投法」で活躍した選手ですが、どんな選手だったのでしょうか?
また、若い頃は髪の毛はフサフサだったのでしょうか?
佐野慈紀(佐野重樹)の若い頃は?
2003年に現役を引退した佐野慈紀さんですが、若い頃の年俸はいくらくらいだったのでしょうか?
若い頃はふさふさ?
調べたところ、中継ぎ投手としては、1996年に日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーなったそうです。
その頃の髪の毛はどうだったのでしょうか?
佐野慈紀、この人すっかり芸人みたいになっとるけど、
— NOёL (@noel_dahlia) August 1, 2018
現役時代は、中継ぎ投手として日本プロ野球史上初の年俸1億獲得した人なんやで?w
佐野慈紀さん、そうだったのか❗️👉中継ぎ投手としては、日本プロ野球史上初の年俸1億円プレイヤーだった。
— eagleしばかわ🦅 (@eagleshibakawa) February 15, 2021
プロフィール
引用元:https://twitter.com/Dorapeinet/status/1785028941973164338
●プロフィール
名前:佐野慈紀(さのしげき)
本名及びかつての登録名:佐野 重樹(さのしげき)愛称:ハゲ魔神
生年月日:1968年4月30日うまれの56歳(2024年4月現在)
出身地:愛媛県松山市
学校:愛媛県立松山商業高等学校~近畿大学工学部
松山商から近大工学部(呉キャンパス)を経て、90年ドラフト3位で近鉄入団。
1997年にはトミー・ジョン手術を受けますが、これ以降主だった活躍ができず1軍・2軍を行き来していました。
1999年オフに中日へ移籍も2000年戦力外通告後に自由契約となり米独立リーグなどで2年間プレー。
2003年にオリックスにテストの頃より活動名義を「佐野 慈紀」に変更。
一軍登板は2試合にとどまり、現役を引退します。
引退後は球界きっての芸達者を活かし、野球解説者や評論家へ転身しました。
佐野慈紀は「ピッカリ投法」で活躍した選手!
佐野慈紀さんといえば、帽子をわざと落とす「ピッカリ投法」で話題でしたよね。
当初は、対オリックス戦でワインドアップポジションの際、両腕が帽子に当たり、偶然前頭部があらわになったことが始まりです。
「必殺!テカテカ投法」と命名していますが、「ピッカリ投法」と名称変更しています。
「サントリー ドリームマッチ 2018」では地毛を伸ばしパーマをするなど会場を沸かせました。
まとめ 佐野慈紀の若い頃はフサフサ?「ピッカリ投法」で活躍した選手!
佐野慈紀の若い頃はフサフサ?「ピッカリ投法」で活躍した選手!ついてご紹介しました。
プロ野球・近鉄バファローズなどでピッチャーとして活躍した佐野慈紀さんが4月30日にブログ更新
佐野慈紀さんは中継ぎ投手としては、1996年に日本プロ野球史上初の年俸1億円プレーヤーで髪もフサフサ
佐野慈紀さんは試合中、偶然前頭部があらわになったことから「ピッカリ投法」と命名し活躍した選手
コメント